平成20年10月10日(金)
宿泊した鷲ケ岳高原ホテルレインボーは郡上市高鷲町のスキー場に隣接して建っていて目の前がゲレンデという立地はスキー愛好者には使い勝手のいいホテルであろう。その洒落た佇まいも面白い。夜と朝と二回低張性弱アルカリ性の温泉を楽しんだ。
10時に鷲ケ岳高原ホテルレインボーをバスで出発し間もなく郡上市内の郡上八幡博覧館へ到着。「博物館」と「博覧会」の合成語が「博覧館」である。
ここには「水」「歴史」「郡上踊り」のコーナーがありよく工夫された展示と説明は初めての来訪者には必見の場所である。
この「博覧館」で初めて知ったことは次の通り。
*日本の名水百選にも入る程良質の水が湧き出る町であること
*釣師垂涎の郡上竿の産地であること
*飲食店のショウウインドウを飾る料理見本の産地であること
*俳諧の巨匠飯尾宗祇がこの地に滞在したこと
*郡上一揆のこと
*山の内一豊の妻千代が郡上城主の娘として生まれたこと
郡上一揆についてウェブで調べると
http://www3.ocn.ne.jp/~gujo/arasuzi.htmlに優れた研究があったのでさわりの箇所だけ引用すると以下の通り。【】内は引用。
【江戸時代宝暦年間、現在の岐阜県にあった郡上(ぐじょう)金森藩では 年貢の税率をあ げとようとしたところ農民の強い反対にあいました。現在の郡上郡白鳥町の農民が中心となり藩に談判しましたが受け付けてもらえません。
郡上では話にならないと江戸藩邸にまで訴えにいったり 登城途中の老中の駕籠を止め直訴したりしました。しかしそれも功を奏さず、やむなく江戸評定所の 「目安箱」に訴状を入れます。これらの農民たちの死罪覚悟の行為により幕府も田沼意次や大目付により詮議を開始しました。
その結果、幕府役人・郡上藩役人が罷免されました。もちろん農民には獄門・死罪・遠島の者もでました。藩主は取り潰され、新しい藩主が任命されることになりました。
江戸時代におきた多くの 一揆の形態 のなかでも藩主だけでなく幕府要人まで裁きが及んだのは郡上の一揆のみです。】
郡上八幡は大河ドラマ「功名が辻」の山内一豊の妻千代の出生地であるがその身上をウエブで探すと
http://www.gujohachiman.com/kanko/ に簡潔な説明を見つけた。
【山内一豊の妻千代は1556年(弘治2年)初代郡上八幡城主遠藤盛数の長女として生まれました。千代が6歳の時に父盛数は病死、その後母の再婚、義父の敗北そして流浪、波乱の人生が はじまります。やがて千代は尾張の山内一豊の許へ嫁ぎます。一豊は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と時の覇者たちに仕え、最後には土佐藩24万石の大名にまでのぼりつめた武将。その影には妻である千代の内助の功があったといわれています。有名なエピソードに一豊が「馬揃え」を目前にひかえて困っていたとき、千代は鏡台から10両をさし出して駿馬を買わせ、それが信長の目にとまって一豊の出世の糸口となった逸話があります。
「功名が辻」原作者司馬遼太郎氏が日本で一番美しい山城と評した郡上八幡城や城下町を見守るように立つ一豊と千代の銅像が建つ】
博覧館で入手した地図を片手に職人町、鍛治屋町、本町の町並みを散策した。宗祇水の流出する箇所では名水を味わい、ペトルポットにも補給した。まろやかな柔らかい舌触りである。
吉田川にかかる宮瀬橋からは八幡城を遠望できた。町中を散策中に店の壁に俳句を記した色紙があちらこちらに掲示されているのを目撃して住民達の文化度の高さと小京都と呼ばれる古い町並みを大切に守っていこうとする意気込みを感じることが出来た。蕎麦屋で手打ち蕎麦を味わい集合場所の博覧館へ指定時間までに辿りついた。
以下の旅程で車窓に移り変わりいく光景を楽しみながら終着の天理ビルに到着した。
*博覧館 13時発、256号線を走行、飛騨中山で41号線へ移行。
中山千里の渓谷美を鑑賞しながら走行
*飛騨川の大橋を渡り257号線へ移行、舞台峠 14時34分着、小休止後15時発。
*中津川ICから中央高速へ15時50分進入、恵那山トンネルを約5分で通過。
*諏訪湖IC17時着、小休止後17時20分発
*談合坂SA18時37分着、小休止後18時55分発
*八王子IC19時14分着、16号線をのろのろ走行、八王子バイパスに入り御殿山19時39分に通過、鑓水IC19時40分着、16号線へ移行
*町田駅20時8分着、一部の客を降ろして横浜へ向け走行、天理ビル20時50分着。